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  • 執筆者の写真取材部・エンカレ東大支部

矢野・前財務事務次官からのメッセージ

更新日:2023年10月29日

 矢野康治・前財務事務次官から東大就活生に向けてのメッセージを頂きました。



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"青雲の志"


 私は、1985年(昭和60年)に一橋大学の経済学部を卒業して、財務省(当時は大蔵省)に入省し、37年余り務め、昨年(2022年)の夏に事務次官で退官した、今や還暦の老兵です。先日、御要請に基づき東大で財政の講演をさせていただいた際に、この寄稿のお話を頂戴し、自分は東大の卒業生でもないので憚られましたが、何らかのご参考になればと思い直し、お引き受けした次第です。




 就職の動機・経緯から書くようにとのことですが、いろんな意味で参考にならない面もあるかもしれません。まず、当時は、大蔵省というとメディアも叩くどころか皆チヤホヤするような時代であり(現に入省時には写真週刊誌に私を含め同期の面々を称賛するような特集記事が出たりしました)、学生としては憧れしか感じず、滅私奉公したいと競って唱えながら官庁訪問した時代でした。また、私は東大以外のマイノリティであり、我こそは組織の中枢・中軸を駆け上がるぞといった熱気ムンムンの覇気の渦中にはありませんでした。同期25人中22人が東大で、私がコーチをしていた国立市内のママさんテニスの方々が内定のお祝い会をしてくれた際も「ところであなたどうして大蔵省に行くの?あそこは東大生が行くところよ」と言われて戸惑ったり、そんなご時勢でもありました。


 でも、志望動機でご参考になることがあるとすれば、国を良くしたいという青雲の志に燃えていたことと、それが様々な状況変化の中で萎えるどころか最後まで燃え盛り続けたことです。在学中、テニスと麻雀に明け暮れつつも、経済学だけは面白くてかなり勉強しましたが、その挙げ句、青臭くも、「社会便益が最大化するのは“死荷重”のないアダム・スミスの完全競争社会だ。真面目そうにリクルート・スーツに身を包んでいれば一部上場企業のどこかには入れるだろうが、それは理想に相反する。それよりも、市場の失敗を補う政府に行って、社会便益の最大化、最大多数の最大幸福を実現しよう」などと思い込んでいました。そんな青二才の私が、社会人としてどんなに泥まみれになるかと思いきや、より良い国にしたいという思いは募るばかりでした。


 今やモーレツ主義の時代ではなく働き方改革の時代であり、また多様性の時代でもあり、さらに行政府や役人は幾多の批判に晒されてもいるので、往時とは時代背景が違ってきているように言われがちですが、世界一の少子高齢化、国際競争の熾烈化、地政学リスクの増嵩といった激動の時代、日本がこの難局を乗り切っていくために公僕ないしノーブレスオブリージェが知性と理性を研ぎ澄ませて踏ん張らねばならないという気概と事実は、いや増すばかりです。

 



 次に、自分が取り組んだ主な仕事についても触れるようにとのことですが、私は、経歴を振り返れば、主税局や主計局が長く官邸や内閣官房への出向も多く、最後は官房長、主税局長、主計局長など務めましたが、まだ(気持ちだけは)若いからか、思い出に浸るが如く自己満足ないし自慢気に個々の業績を羅列する気にはなれません。武勇伝のような話もあれこれあるにはありますが、“謙虚にひたむきに”をモットーとする私としては、鼻にかけたくありません。


 ただ、どのポストにおいても、全力投球したことだけは確かです。それは、残業しまくったというようなことではなく、妥協せずにしっかり戦ったということです。今となっては失言・禁句かもしれませんが、昔、十代のころ、母親から「『若い時の苦労は買ってでもしろ』と言うでしょ」などと何度も刷り込まれたことや、片田舎で有力な家庭教師も有名な塾もなく、独りで1問につき何時間も悩み倒したような愚鈍な勉強ばかりしていたことが、社会人になってからは活きました。


 官民問わずのことかもしれませんが、社会人になってからは、正解のない問題集を解いていくような仕事の連続になります。瞭然たる正解があるのなら、既にもう実行され終わっています。どうすべきかや、どうやって実現すべきかの難題に直面するのが社会人ですが、その鍛錬だけは十代のころから人一倍受けていたと思います。


 ちなみに、私は数理人間なので、非効率やインチキが大嫌いです。なので、働き方改革にも傾倒しました。最後の数年、幹部として、私は「一に健康、二に家庭、仕事は文字通り“二の次”の三番目。それでも、いやそれでこそ日本一いい仕事をする」と省内の皆に言ってきましたし、いわゆる360度評価の導入にも誰よりも異様に拘った人間です。


 そんな私が、ものすごく大事と考え、最も拘ったのは、『違和感を抱いたら、よく勉強した上で、上司なり国会議員なりにしっかりぶつける』ということでした。違和感があるということは、国家としてベター・チョイスの可能性があるということですから、その可能性を突き詰めるということです。また、違和感があるということは、単純に言えば、自分か相手かどちらかが間違っている(劣っている)ということですから、ぶつけることで、自分か相手かどっちかが必ずアップ・グレイドするはずです。自分が間違っていて自分が成長するか、上司や議員が間違っていて組織や国の政策が改善されるか、どちらかです。その意味で、違和感をぶつけることは、プラス・サムでしかなく、ぶつけないことはその機会を逸することです。公僕として、よりよい社会を目指す姿勢に立つなら、ぶつけないのは卑怯であり、本分に悖るとも言えます。


 ところが、人間は、自分がかわいい、自分が傷つきたくない、といった防衛本能があるので、ついその提案(抱いた違和感をぶつけること)を控えてしまいがちです。でもそれは、保身という私益欲求が、公益増進願望を凌駕しているということです。


 叱られるかもしれないとか、嫌われるかもしれないとか、不評を買いたくないといった私益欲求に掉させて、公益増進の機会をみすみす見送るのか、という話です。私は、バカだったからか、命知らずだったからか、その点において、己をあっさり捨てて公益増進の機会追求に奔走しました。残業とかの物理的な意味ではなく、保身や名誉といった次元において“滅私奉公”に徹しました。


 プラス・サムと書きましたが、意見具申するには、上司や議員の時間を割いてもらう時間コストと、彼等を疲れさせるだけに終わるかもしれないという徒労リスクがありますから、そこは、時機を選んで言うとか、要領よく話すとか、愚論に堕すことのないよう検討しまくってから提言するといったエチケットないし努力は尽くしました。でも、そのコストやリスクがあるから控えるということはしませんでした。




 バカバカしくて読んでられない、と思われる方もいるかもしれませんが、『山月記』の最後は虎になってしまった主人公のように、有能でプライドが高い人材にとっては、陥りかねない落とし穴だと私は思っています。若い後輩職員に対しては、「“言い訳の天才”になるな。頭のよさを保身に使うのではなく、献身に使おう」と言ってきました。


 己の直感は大事ですし、大切にすべきですが、それを補強・弁護するための材料集めに走るのではなく、なぜ自分と異なる意見を言い張る人が居るのか、その人の論拠や事情について、その人以上に知悉することで、己の意見が間違っていることに気づくことも(稀であれ)あるし、相手の理解・賛同を得られやすくなることも(往々にして)あります。自説の正当性に拘るのではなく、自分の右脳と左脳を駆使して、自己内ディベイトをし、自己検証することで、意見具申はより有意なものとなり、そういう公僕はより有為となります。


 逐一ことごとく上司や議員に意見具申し、大目玉を喰らったりすることもあった私が、なぜ途中でスポイルされなかったか、不可思議でさえありますが、そこには2つの要因があると思います。1つは、まず上司たちに聡明な人が多く揃っていて、「(気に入らないけど)一理あるな」といった冷静な評価・判断をしてくれる機会に非常に恵まれたことです。この点は、省内外の多くの人から指摘されましたし、間違いなくそう実感します。もう1つは、私の意見具申の姿勢が、議論に負けたくないからとかではなく、政策としてベター・チョイスを希求しているだけであり、そのことが上司や議員にも透けて見えたからだと思います。もちろん、エチケットとしてもよく勉強してから上申しましたし、自分の直感を疑ってかかるほどの自己検証を怠らなかったので、おのずと一理あったり、説得力があったことも確かだと思います。


 自分が公僕として自負・確信できるのは、そのことだけで、個々の事象・実績については、(もちろん相当頑張りましたし、相当あれこれやりましたが、)自分としては、今思えば、もっと更になんとかできなかったかという“夢は千里(枯れ野)を駆け巡る”かの残務感ばかりです。あの、世界で超一流の大谷翔平選手とて、毎日、練習時間が足りないと嘆きながら、日々成長する研鑽努力を密かに積んでいるように、自己満足や自慢したら、人間それでオシマイなのだと思います。(私の役人人生はもう終わりましたが、人生はまだ終わっていないので…。)




 満足し、充足感に浸ることがなかったのかと言えば、そんなことはありません。異動の挨拶をするときはいつもやり切った感で一杯でしたし、上司も部下もそういう目線で別れを惜しんでくれました。私が今ふり返って心の底から良かったと思うのは、37年余り、常に正義感だけで働き通すことができたことです。日本にとって、社会にとって、道義に照らして、何が最善の途であるかを常に考え、提言し、実現するためにひたすら働いたことだけは揺るぎない事実であり、そういう職場、職務に就けたことに心底感謝しています。


 日本は、前段でも述べましたように、私が就職した昭和末期より更に一層困難な時代に突入しています。この国難とも言うべき時代を乗り越えていくためには、どうしても知性と理性を研ぎ澄ませたノーブレスオブリージェの存在・活躍が不可欠です。公僕は、日本最高峰の頭脳を持つ皆さんが、正義感を胸に、持てる能力を研き上げながら傾注するにふさわしいチャレンジングな職務だと思います。


 最後に、私が事務次官に就任したばかりの時に、局長クラスの幹部職員に配布した2人の先人(四元義隆氏(「無畏」)と三宅雪嶺氏)の言葉(※取材部注:付録として掲載)を紹介します。私は自分のことを“心ある犬”などと自嘲していましたが、今の日本には真の国士が必要です。


矢野 康治 2023年7月21日


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執筆者と免責事項

書き手=矢野 康治(やの こうじ、1962年12月10日 - )

前財務事務次官。退官後、一橋大学顧問、日本生命保険特別顧問、政策研究大学院大学経営協議会委員、神奈川大学特別招聘教授等。


担当=尾澤颯(東京大学公共政策大学院修士2年)、長廣美乃(東京大学大学院人文社会系研究科2年)


※記事は必ずしも特定組織の公式見解を示すものではありません。


付録

 矢野様が最後に触れられていた四元義隆氏と三宅雪嶺氏のお言葉を付録としてご紹介します。


四元義隆氏「無畏」

 人間社会の悪徳の多くは、恐怖心から生まれる。大小の暴力の多くも自分等の恐怖心から他に暴力を加えることになる。

 困難に負けるものの多くはまずその困難を恐れ、呑まれるからである。仕事に負けては仕事をやりとげることは出来ない。 如何なる大事業も困難も、恐れることなく勇気をもって粉骨砕身するのみ。何事も精進するものに恐れはない。

 人生の勝者たるの秘訣は無畏にある。

 The only thing we have to fear is fear itself.

 「われわれが恐れねばならぬ唯一のものは、恐怖心そのものである」 - ルーズベルト

 菩薩の別名を施無畏者と云う。無畏を施すとは、無畏の心を与えることを云う。

 人間の恐怖心を真に克服するものは唯知恵である。

 山岡鉄舟居士に或る人が問うた「武藤流の極意如何」と、居士答えて曰く「浅草寺観音様に預けてある」と。

 今日も浅草寺観音堂の正面に鉄舟居士の雄渾な「施無畏」の大額が不滅の真理を語っている。


昭和四十一年八月十八日



三宅雪嶺氏の言葉

 人の一生に大なる差が生じて来るのは種々の事情はあるが、まづ為さねばならぬことを為すと否とにある。為さねばならぬことは誰でも為しさうなもなものだが、さうでない。ぜひとも為さねばならぬことは断乎として敢てするのが第一の勝利である。よし負けてもその歴史には生命がある。

 次に思ひ切りが肝要である。為さねばならぬはめになつたら、断乎として為すに如くはない。危険はある、無論失敗もあるが、此際躊躇して発せねば平凡に終るのである。事を為すには思ひ切りが大事である。それがいやなら平凡で満足すべきである。


ー三宅雪嶺ー

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